2008年01月
2008年01月30日
2008年01月13日
中国女性が働く理由
ぷ~子になって丁度1ヶ月になった、あっという間だった。
なんともお気楽にの~んびり過ごさせてもらっている
一応春にはまたお仕事探しを初める気持ちでいることは伝えてあるが、彼の両親とお仕事について話をするキッカケがあり、中国人女性が働く理由について少し考えた。
今まで私は中国女性が働く理由は「お金、生活のため」だと思っていた。
だってまだ超一般市民は聞くところ月収が3~4千元かという中、私が賃貸していた60?足らず1LDKのお部屋は家賃2,500元なんだから。
もちろん金銭面も理由のひとつではあるだろう。
しかし最近ぷ~子をしている私に彼の両親が教えてくれたのは「社会との繋がりを持つため」であった。北京はこれでも変わったけど、まだ田舎の方に行くとその理由がモロに分かると。
例えば、前回の旧正月に太原に行った時の事。
?平遥に観光に行きたいがツアーが満タンで見付からない。
…パパの知り合いがささっと段取りしてくれて翌日決行
?カラオケ
…ヤンヤンの友達が顔が広くサービス満点&何故か無料で遊んだ
?博物館見学
…ヤンヤンの警察官してる友達のご両親が館長さんで情報もサービスも満点
?北京へ帰る列車の切符は売り切れ。
…ママの友達が駅で働いていて希望通りの日程の切符を用意してくれた。
※今度の旧正月の事だが、私の両親が日本から太原へ行くことになっている。そのホテルの下調べや価格交渉など、現地の知人たちが助けてくれているのだそうだ。
というように
友達や知り合いが命なのであるっ!
その繋がりがなきゃ動きが取れない、たとえ取れても不自由極まりないのであるっ!!
仕事を辞めてのんびりぷ~子をしてる私に彼の両親が言う。
・楽なものでいいから仕事をして社会に出ておきなさい
・篭ってないで知り合いをたくさん作りなさい
そしてもうひとつ
「仕事をしていないとバカにされる」そうだ。
主婦だって立派な仕事、それは頭では分かっているつもりでも、やっぱり態度や言葉の端々に本音が出てしまう時があるそうな。
ママ曰く、男性と対等に生活する意味でも女性が働くことは大切だと。そんなママは凄くて、どこぞの所長さんでパパと同じ地位だったそうだ。
そんな彼の両親
パパがアフリカのとある国での勤務になった時、ママは一緒に行った。そして編み物や太極拳を教えて現地の人と知り合い、言葉も学び、楽しく有意義に、そして助けてもらいながら生活したそうだ。
中国女性が強い理由、ちょっと甘く見ていたのかも知れない…。
なんともお気楽にの~んびり過ごさせてもらっている
一応春にはまたお仕事探しを初める気持ちでいることは伝えてあるが、彼の両親とお仕事について話をするキッカケがあり、中国人女性が働く理由について少し考えた。
今まで私は中国女性が働く理由は「お金、生活のため」だと思っていた。
だってまだ超一般市民は聞くところ月収が3~4千元かという中、私が賃貸していた60?足らず1LDKのお部屋は家賃2,500元なんだから。
もちろん金銭面も理由のひとつではあるだろう。
しかし最近ぷ~子をしている私に彼の両親が教えてくれたのは「社会との繋がりを持つため」であった。北京はこれでも変わったけど、まだ田舎の方に行くとその理由がモロに分かると。
例えば、前回の旧正月に太原に行った時の事。
?平遥に観光に行きたいがツアーが満タンで見付からない。
…パパの知り合いがささっと段取りしてくれて翌日決行
?カラオケ
…ヤンヤンの友達が顔が広くサービス満点&何故か無料で遊んだ
?博物館見学
…ヤンヤンの警察官してる友達のご両親が館長さんで情報もサービスも満点
?北京へ帰る列車の切符は売り切れ。
…ママの友達が駅で働いていて希望通りの日程の切符を用意してくれた。
※今度の旧正月の事だが、私の両親が日本から太原へ行くことになっている。そのホテルの下調べや価格交渉など、現地の知人たちが助けてくれているのだそうだ。
というように
友達や知り合いが命なのであるっ!
その繋がりがなきゃ動きが取れない、たとえ取れても不自由極まりないのであるっ!!
仕事を辞めてのんびりぷ~子をしてる私に彼の両親が言う。
・楽なものでいいから仕事をして社会に出ておきなさい
・篭ってないで知り合いをたくさん作りなさい
そしてもうひとつ
「仕事をしていないとバカにされる」そうだ。
主婦だって立派な仕事、それは頭では分かっているつもりでも、やっぱり態度や言葉の端々に本音が出てしまう時があるそうな。
ママ曰く、男性と対等に生活する意味でも女性が働くことは大切だと。そんなママは凄くて、どこぞの所長さんでパパと同じ地位だったそうだ。
そんな彼の両親
パパがアフリカのとある国での勤務になった時、ママは一緒に行った。そして編み物や太極拳を教えて現地の人と知り合い、言葉も学び、楽しく有意義に、そして助けてもらいながら生活したそうだ。
中国女性が強い理由、ちょっと甘く見ていたのかも知れない…。
2008年01月05日
ハルピン食べ物
メインだった割には寒さに負けてさっさと氷祭りを後にし、暖かい所と料理を求めてホテル付近に戻ってきた。
←こちらは昼間の写真と同じ中央大街の夜景
夕食は以前北京のエリアで会ったハルピンのパラ仲間に聞いたお店「彼特曼西餐」にてロシア料理→
パンとバターとスープは美味しかったけど、その他はまぁまぁ。
何よりいまいちだったのは自家製ワインと聞いていたワイン。テイスティングもなく注がれておいおいって思ったのも飲んで納得、ぶどうジュースですか?? アルコール度を確認したら2度ですって…。それにしちゃお高いんじゃありません??
デザートはやめにして、また中央大街をフラついてからホテルに帰ったのであった。
←ちなみにこちらはランチ
ハルピンビールとソーセージとお魚(名前なんやったかな?忘れた)、有名物です。この餃子屋さんは有名らしく、北京ではあまり見かけない海鮮物の具が多く、とても美味しかった。フカひれとかアワビとかホタテとかっ
そしてそして、何故かアイスクリーム(というかシャーベット?)も有名なところがあるらしい。これは残念ながらそのお店のものではないが、氷の上にアイスを乗せシロップをかける。4元(約60円)
隣はインスタントコーヒー6元(約90円)
手はジャイケンをしているのではなく、「いぇ~い」とVサインをしている。左があきこはん、右がり~ほぇい。
そしてこちらはすっ飛んで帰宅後の写真。
手にしているのはパンです。恐らく1週間分にはなろうという大きなパンです。
ヤンヤンが自分におみやげに買ってきた物を家で撮影。
結構重いっす
氷の世界□
暗くなったら今回一番の目的の地へ!
「氷祭り」
これを見たかったのである。
美しいっ
しかし寒いっ
1時間程しか居なかったのだが、途中でホットドリンク休憩をしないと居てられなかった。
気温は予報ではマイナス15度
昼間の予想最高気温マイナス5度の世界でアスファルトやレンガの上を歩いているとまだマシなのだが、やはり日が落ちて更に氷や雪の上を歩いているとほんまに底冷えって感じで絶えられない。それでも暖冬だというから凄い。昔はマイナス30?40度だったんやって…想像出来へんっ
この氷は5?60センチはあると見えたが、氷を通して反対側の人が見えたりする。
←なんか神秘的な感じのり?ほぇい。鼻水垂れてるかもっ!?(笑)
ちなみにこの日今年のオープニングセレモニーの日だったそうで、花火の準備がされていた。しかし私たちはダウン、見ずにレストランへ向かったのであった。
そりで滑る滑り台も凄い列で断念。もしも次回行くチャンスがあったら、まず人が少ないと思われるうちに滑り台を目指そうと思う。
「氷祭り」
これを見たかったのである。
美しいっ
しかし寒いっ
1時間程しか居なかったのだが、途中でホットドリンク休憩をしないと居てられなかった。
気温は予報ではマイナス15度
昼間の予想最高気温マイナス5度の世界でアスファルトやレンガの上を歩いているとまだマシなのだが、やはり日が落ちて更に氷や雪の上を歩いているとほんまに底冷えって感じで絶えられない。それでも暖冬だというから凄い。昔はマイナス30?40度だったんやって…想像出来へんっ
この氷は5?60センチはあると見えたが、氷を通して反対側の人が見えたりする。
←なんか神秘的な感じのり?ほぇい。鼻水垂れてるかもっ!?(笑)
ちなみにこの日今年のオープニングセレモニーの日だったそうで、花火の準備がされていた。しかし私たちはダウン、見ずにレストランへ向かったのであった。
そりで滑る滑り台も凄い列で断念。もしも次回行くチャンスがあったら、まず人が少ないと思われるうちに滑り台を目指そうと思う。
午後の観光
←こちらは極楽寺
そういえばまだ初詣に行っていなかった!
ここでしっかりお願い事。
最初日本語でお願いしてしまったので、続いて自分で通訳。これでバッチリ通じたかなっ?
お願い事は言い合う物ではないと思うのだが、ヤンヤンがせっせと聞いてくる。聞き返してやったら、彼の願いは「り~ほぇいの願いが叶いますように」やって…ごちそうさま。
そんな私の願いは秘密
お寺を後にして着いた場所は太陽島。ここでは雪祭りが行われている。というか、まだ製作中だったところがいっぱいだったが…。
雪祭りの中で滑り台を体験。それほど高くないし、しょぼいやろうのにひとり50元!? ぼったくり~!! と思いながら舐めてかかったのだが…
「ぎゃ~っ!!」
凄かった
もうちょっと安かったらもう1~2回遊びたかったな…。
雪祭りの会場から見た夕日→
ハルピンの夜は早い。なんとこれ、夕方4時である。4時半にはもう暗くなってしまっていたのだった。
氷の世界?
ハルピンに到着して、まずホテルにチェックイン。
服を更に着重ねて、荷物を置いて、街へGO
特に下調べもせずに着いたハルピンはロシア風であった!
←中央大街という通り。雰囲気が独特。
その通りのあっちこっちに氷のオブジェがある。さすがハルピン、寒いとこやねぇ~
小さな広場には氷の滑り台があった→
子供に紛れて遊んでたら、お見事っ! 体があったまります
ここで発見☆ もこもこになって完全防備しているのは観光客、地元の人はなんとあっさりしたものであった。寒くないのかなぁ~?
さらに中央大街で見付けた氷の物体!
←氷BAR
壁も屋根も氷で出来ている。
中に入ってみると、テーブルもイスも氷で出来ていた。なんでもかんでも氷→
極めつけは中で売ってる飲み物のグラスも氷。放置してある見本は飲み物まで凍ってしまっていた。注文したら早く飲まないと凍っちゃうよ!?
メイン通りから、今度は教会へ。
←聖ソフィア教堂
この雪のかたまり、何故頭だけ?
頭がロシア系の骨格ガッチリタイプの人から分かるように、昔ロシア軍が建設した教会だそうです。
中の展示物を見ながら、同行の駐在員Oさんとヤンヤンの知識を教えていただいたあきこはんと私であった。
服を更に着重ねて、荷物を置いて、街へGO
特に下調べもせずに着いたハルピンはロシア風であった!
←中央大街という通り。雰囲気が独特。
その通りのあっちこっちに氷のオブジェがある。さすがハルピン、寒いとこやねぇ~
小さな広場には氷の滑り台があった→
子供に紛れて遊んでたら、お見事っ! 体があったまります
ここで発見☆ もこもこになって完全防備しているのは観光客、地元の人はなんとあっさりしたものであった。寒くないのかなぁ~?
さらに中央大街で見付けた氷の物体!
←氷BAR
壁も屋根も氷で出来ている。
中に入ってみると、テーブルもイスも氷で出来ていた。なんでもかんでも氷→
極めつけは中で売ってる飲み物のグラスも氷。放置してある見本は飲み物まで凍ってしまっていた。注文したら早く飲まないと凍っちゃうよ!?
メイン通りから、今度は教会へ。
←聖ソフィア教堂
この雪のかたまり、何故頭だけ?
頭がロシア系の骨格ガッチリタイプの人から分かるように、昔ロシア軍が建設した教会だそうです。
中の展示物を見ながら、同行の駐在員Oさんとヤンヤンの知識を教えていただいたあきこはんと私であった。
2008年01月04日
初寝台列車
あきこはんが声をかけてくれて、ハルピン旅行に行ってきた。
バタバタ準備ということになったが、なんとか出発。
初めて寝台列車に乗っての旅である
夜9時半頃北京駅を出発、ハルピンには翌朝8時半頃到着予定。
ドキドキの中身は…
ベッドが3段!? ギッシリって感じ。
私たちは一番上の段だったので座ることも出来ず。私はまだちっちゃいからいいけど、でっかいヤンヤンは可愛そうだった。帰りは飛行機で…そう決めた彼の気持ちがここで分かったのだった。
持ち込んだお菓子を食べながら喋るぞ~って思ってたのに、10時に消灯 真っ暗になってしまった。出発してまだ30分、早すぎやしませんかっ?
仕方ないので健康的に寝てしまったのだった。
ここでちょこっとマメ知識。
列車が動き出してから車掌さんが回ってきた。切符を回収して、替わりにして居場所の書かれたカードをくれる。その理由を確認したところ、深夜に途中駅で降りる人を起こすためだということだった。な~るほどっ
終点駅ハルピンに着く1時間ほど前に車掌さんがやってきて起こされ、カードと切符を交換してハルピンに降り立った。
バタバタ準備ということになったが、なんとか出発。
初めて寝台列車に乗っての旅である
夜9時半頃北京駅を出発、ハルピンには翌朝8時半頃到着予定。
ドキドキの中身は…
ベッドが3段!? ギッシリって感じ。
私たちは一番上の段だったので座ることも出来ず。私はまだちっちゃいからいいけど、でっかいヤンヤンは可愛そうだった。帰りは飛行機で…そう決めた彼の気持ちがここで分かったのだった。
持ち込んだお菓子を食べながら喋るぞ~って思ってたのに、10時に消灯 真っ暗になってしまった。出発してまだ30分、早すぎやしませんかっ?
仕方ないので健康的に寝てしまったのだった。
ここでちょこっとマメ知識。
列車が動き出してから車掌さんが回ってきた。切符を回収して、替わりにして居場所の書かれたカードをくれる。その理由を確認したところ、深夜に途中駅で降りる人を起こすためだということだった。な~るほどっ
終点駅ハルピンに着く1時間ほど前に車掌さんがやってきて起こされ、カードと切符を交換してハルピンに降り立った。
2008年01月03日
出遅れた年賀状
新年明けましておめでとうございます
タイトルの通り、ちょっと出遅れた年賀状の日となってしまいました。もう3日…はやっ!
中国は昨日(2日)から既に平日、出勤日となっております。(ぷ~子の私には関係ないけどぉ~っ)
前置きはさておき、昨年は大変お世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願いします!
私は日本の年越しを両親とスカイプ繋いで一緒に過ごした。一緒にカウントしようと思ってたのだが、「あと何分?」と聞いた時には「もう2008年やで」と答えられてしまった。あらっ
それから話すぎて、中国の年越しにあわせて慌ててシャワーしてたら…トントン(ノックの音)「新年快楽~!」と彼の声…あらっ、間に合わなかった 年越しシャワーをしてしまったのであった。
日本時間に両親と、中国時間に彼と一緒に秒読みしたかったのに…。失敗に終わってしまった。
来年は成功させるぞっ!!
2008年、元旦は彼と家具屋さん巡り。そしてついにっ!! 家具を決めたのでした。
2日、彼はお仕事。私ひとりで家具屋さんの抽選会に参加。3等賞の500元をげっちゅ 1等賞の5000元にはおよばなかったけど、それでもなかなか良いスタートかしらっ
今年はオリンピックYear、そして私的には結婚の年の予定、既に色々盛りだくさんな雰囲気。
2008年が皆にとって素敵な一年でありますようにっ