2011年05月
2011年05月31日
やっとこさ…
北京って空気が綺麗!…って感じられるくらいやから、山西省太原はかなり空気がキタナイのね。
26日~31日までの5泊6日で旦那さまの実家へ帰っていた。
心配していたベッド(寝相が凄くなってきた幼児と赤ちゃん連れで安全に眠れるか)は問題なかったし、それほどイライラする事もなかったし、子供の世話だけしてたらいいっていう考えの上に胡坐かかせてもらって何もしてなかったのにヘトヘト。
最後の夜なんて、おっぱいが足りてない感じで辛かった。
「子供二人の世話と家事をするなんて、身体を壊さないか心配」って言われるけど、日本じゃ当ったり前のことやし。
しかも舅&姑が家事をしてくれて過ごすより、自分でやってる方が何故か身も心も楽やから不思議。
これから数日、北京で家族団欒の日々が過ごせる。
見送りに行くと言うので、アルジェへ行く2~3日前には、今度はやってくるのだが…。
まぁ荷物の準備もしないといけないので、子守をお願いしちゃいましょっ☆
2011年05月24日
2011年05月23日
お手伝いさん
今まで何度か1度だけという形でお手伝いのおばさんを呼んだ事があった。
そんな感覚で今回も到着した日の掃除のお手伝いをしてもらうためにおばさんを呼んだ。
3時間掃除してくれて助かった!
そこで3時間では出来なかった窓ふき等もお願いしたくて、来週時間がないか聞いてみた。
すると営業トークが始まって、あれよあれよと言う間に「月水金の週3日、午後に2時間」来てもらう事になった。
自分を売り込むパワーにアッパレ☆
でもこれがかなり助かる。
窓拭き、カーテンの洗濯、お掃除、洗い物、お料理…その日お願いした事を2時間やってくれるのだ。
子供が2人もいて、常駐の両親やお手伝いさんがいないなんて大変だろうと、食材の買い出しまでしてきてくれる。
ちなみに時給は15元(200円ちょいってところか)。
ほんま助かる。
2011年05月22日
2011年05月19日
2011年05月18日
郊外観光
たっくん、初めて万里の長城を歩いてみたけど…
まだちょっと無理みたい。
急な階段のところでこけて、2段程転がってしまった。
後ろに友達が居てくれて本当に助かった!
ということで、申し訳ないけど友達ひとりで登ってもらった…。
(ななちゃんは駐車場付近でじぃじとばぁばと待っていた)
神路に着いた時は子供二人はお昼寝中。
今度は通り抜けポイントやし、私は車で出口へ向かい、友達とじぃじとばぁばで歩いてもらった。
その後ランディングを見に行った。
社長さんに会ったのだが、なんだかクラブ内が随分変わったようだった。
空軍のなんかが山頂に出来て妙峰山は飛べなくなり、司馬台も飛べなくなり、十三陵ダムのエリアも風が強い日が多く前より飛べる日が少なくなってるらしい。
夢だった万里の長城(司馬台)フライト、出来てて良かったぁ~!
観光の後はホテルへ向かった。
1泊だけ北京チックなホテル、竹園濱館に泊まった。
夕食は羊のしゃぶしゃぶ鍋へ。
ホテルで近くの美味しいお店を聞いて、バスで向かった。
前を通ったことはあったけど、こんなに素敵なお店とはつゆ知らず。
冷凍の丸まったお肉が定番やけど、そこは生(もちろん火は通します)が売りらしく頼んでみたら、とっても美味しかった!
落ち着かないたっくんがお茶をこぼしたら「子供にかからなければそれでいい」と言いながら拭いてくれたり、動き回ってたら「お母さんにゆっくりご飯食べさせてあげようね」なんて言いながら子守してくれたりする。
子供にはとっても優しいので、その点は絶対中国の方がやりやすい。
たっくんはどうやらバスが非常に気に入った様子。
「はしゅ、はしゅ! もういっかい!(バス、バス、もう一回乗りたい)」ってことで、帰りもバスでホテルへ。
そして子供が寝た瞬間、マッサージの人を呼んで足裏マッサージをしてもらったのでした♪
2011年05月17日
2011年05月15日
2011年05月14日
久々の北京
7カ月近くぶりに北京に戻って感じたこと。
赤ちゃん好き
子供好きなのは知ってたけど、小さければ小さいほど反応するらしい。
たっくんにも優しいのだが、ななちゃんは顔を覗きこまれたり振り向いてまで見られたりする。
子供を二人連れていると浮く
一人っ子政策なもんやから、二人連れてるとじろじろ見られたりする。
たっくんひとりの時は中国語で話しかけたりして浮かないようにしてたけど、こうなったら日本語で外人モードをチラつかせるかっ!?
子供の服
ななちゃんが明らかに女の子らしい服を着ていても性別を聞く人は田舎っぽい人かお年寄り。
もう日中は27度に達したりしてる北京、半袖のロンパース1枚でななちゃんを連れてたら、「あら、薄着ね」と言われる事が多い。
やっぱり北京の赤ちゃんはかなり厚着させられてる。
先日ちょこっとお散歩してたら、「あらもう半袖、うちは着せすぎかしら…」なんて言ってる若いお母さん。
ななちゃんと数日違いの男の子は、長袖長ズボンの中にはステテコまで履いてて…間違いなく暑いでしょうよ。
今は口から出る言葉は日本語のたっくん。
以前より言葉が分かるせいか、なんだかちょっと戸惑ったように感じられた。
幼稚園前後の子供が遊んでるところへ混じりたいのだけど、思うように遊べず、ご機嫌斜めになっちゃった。
ぼちぼち頑張りましょ~っ☆
2011年05月11日
2011年05月10日
パトカー&消防車
まっまさか…
中国でパトカーを呼ぶ事になるとは…。
午前中、お買い物へ行くために出かけた。
荷物を車に乗せ、今回日本から持ってきたたっくんのチャイルドシートと、たっくんが使っていたチャイルドシートをななちゃんの体重に合わせ向きを変えて装着。
子供2人をチャイルドシートに乗せて、ドアを閉めた。
☆ガチャッ☆
あっ!
たっくんがロックをかけたっ!?
窓は全部閉まってる。
車の鍵は…車の中
スペアキーは家、だけど家の鍵は…車の中
携帯電話は…車の中
「◎§ΘΨδ@λ☆Λ◆Π」
どうしよぉ~~~~~っ
とりあえず母に車についててもらい、私は自宅がある団地の門へ走り門番(管理業者の人)に助けを求めた。
頼りない返事だったのだが、そこに顔見知りが通りかかって警察に電話してくれた。
そして警察を待つ間に管理業者の事務所(敷地内にある)へ走り、鍵あけ業者を呼んで貰ったら20分で到着出来るとのこと。
車のもとへ戻ったらパトカーで警察が到着しており、「①業者を待つ、②ガラスを割る どっちにする?」と聞かれた。
①を待ってみて、ダメなら②ということにしたのだが…
必死でガラス越しにたっくんに鍵の開け方を指示するも、反応はあるが思うように動いてくれない。
ななちゃんは幸い寝ていた。
次第にたっくんの顔が赤くなってきた。
気温は暑いとまではいかないが、日向に車を停めていたので、車内はどんどん気温が上がってることだろう。
管理業者の人たちがダンボールを車にかぶせてくれた。
どんどん人が増えるし、怖くなったのかたっくんが泣きだした。
もう待てないっ!
「ガラスを割って~」
たまらず警察にお願いした。
子供が安全ならどうなってもいい!
ってことで、後ろのガラスを割る事に。
大きな斧のような物がどこからか出てきて、一発でパリ~ンと粉々になった。
ガラス割るのって簡単やねんなぁ…。
警察の人が乗り込んで、鍵を開けてくれた。
←修理に走る前に撮った写真
私はたっくんを、母はななちゃんを慌てて車から降ろして抱きしめた。
たっくん、スゴイ汗やった。
ガラスがないから、管理業者の門番の見える位置に移動させて監視してくれることになった。
ふと後ろを見たら、大きな消防車がUターンしている。
私たちのもとへ来てくれたらしい。
消防車でどうやって助けてくれるつもりやったのか…分からんけど、どうもありがとう。
かなり派手な失敗をやらかしてしまったようだ(苦笑)
でも笑える結果で良かった…。
門のところで鍵業者と出会った。
「交通費だけでも払え」と言う鍵業者に、管理業者が「4か月の赤ちゃんも閉じ込められてて待てなかった。ガラスの修理代もかかるんだ、見逃してくれ」ともみ消してくれた(笑)
一旦家に帰ったら、疲れたのかたっくんが早いお昼寝。
お昼御飯を食べて、ななちゃんにおっぱいをやってから、私ひとりで車の修理に行った。
本当は人の運転する車に少し乗って感覚を取り戻してから運転しようと思ってたのに、スパルタでプチ遠出するはめになったけど、行くしかない。
いつからだったか、車購入の規制がかかったので車屋さんはがら~んとしていて、すぐに修理してもらえた。
保険で修理出来るのだが、電話して写真撮って…と時間がかかる。
金額を聞いたら払える額だったので、現金で支払うことにして、すぐに直してもらう事にした。
後日取りに行くつもりだったのだが、2時間弱で出来るというのであれば、待つ方が時間の無駄がない。
待合室へ向かったら、手前に「マッサージ」の文字が。
修理してもらってる間、1時間50元で全身マッサージをしてもらって、肩コリ解消☆笑
そして修理代は555元やった。(現在1万円=700元) 安っ!!
無事ガラスも入って帰宅。
そしてやっとこさお買い物に行けたのだった。
ななちゃんはさておき、たっくんがトラウマになったら大変…と思ったのだが、すんなり乗ってくれて良かった。
とんだ失敗、もう二度と同じ失敗をしないように…
午後から小さなウエストポーチに家と車の鍵、財布、携帯電話を入れて身に着けることにしたのだった。
2011年05月09日
住所登録
ビザが変わらなければその期間は出入り自由なのだが、今回大阪で切り替えしたんやった。
それを思い出したのは30時間を過ぎた頃(夜)だった。
仕方ないので翌日の午前中、ななちゃんを母に見てもらい、たっくんと二人で慌てて行った。
警「期限を超えてるから家の権利書が必要」
私「知らなかった。持ってない。」
警「午後持ってまた来て」
私「ここへ来るのは大変だ。今持ち合わせている証明書でなんとかならないか?」
警「じゃぁ後日提示に来るように」
っちゅうことで、無事処理してもらえた。
私「不足書類は権利書だけでいいのかな?」
警「もういいよ。小さな赤ちゃんがいて大変やろうし」
私「ありがとう! 助かりました!」
24時間の期限を超えてたので反省書はきっちり書かされたのだが、書類不足でも融通を効かせてくれる中国、素敵ですっ☆
日本やったら何が何でも絶対あかんもんな。
2011年05月07日
膨大な荷物
2010年~2011年にかけて、どっぷり実家で過ごした私。
ついに北京の自宅に戻った。
大変だったのは荷物。
今までで最高の量。
はたして超過料金を取られずに済むだろうか…と不安だった。
関空までは父だけでは運転手さんが足りず、妹にも協力してもらって車2台で向かい、北京まで母に同行してもらった。
北京に着いたら飛行機を降りた地点からポーターさんがひとりつく。
そして荷物を持って出口へ。
出口には親戚がうちの車(7人乗りやからなんとか1台で乗るはず)で迎えに来てくれて、うちまで送ってくれる。
うちに着いたら、パートのおばちゃんにお願いしてあるので掃除を手伝ってもらう。
…手配はバッチリ☆
なんとかうまくいきますように!
結果は…
手荷物が多くて動きにくく大変やったり、迎えに来てくれた親戚におみやげ渡し忘れたり、小さな失敗はあったけど、無事全ての予定を終えられた。
今回預け荷物は8個…
合計85キロ…(母、私、たっくん、ななちゃんで規定は70キロ)
手荷物が3つ、重さは計ってないけどパソコンや一眼レフ等結構な重さやった。
ちなみに、持ち切れなかった荷物を来週父が持って来てくれる。
それでも持てない荷物は郵送…(汗)
飛行機の中ではいつも眠ってくれてたたっくんも、初めての飛行機のななちゃんも、二人してずっと寝てくれず。
つっ疲れた…。
色んな人に助けて貰ってなかったら、絶対こうは出来なかった。
空港の係員さん、それを手配してくれた旦那さま。
空港に迎えに来てくれた親戚、もともと来てくれる予定だったおじさんは盲腸で入院中に別の人にお願いしてくれた。
掃除に来てくれたお手伝いのおばさん、それを紹介してくれた北京のママ友。
家族の助けもあった。
本当に感謝☆